時間の使い方を改めて考える機会があった
今の時代、インターネットが無いと生活ができないという人はどのくらいいるのだろうか?私はネットが無い環境で生活するという経験はとても貴重だと思った。
お盆休み、私は宮崎県の山側に住んでいる祖父母の家に久しぶりに訪れた。
木造でできた大きな家。玄関まで歩いていくと小さなバッタやカエルがぴょんぴょんと逃げていく。扇風機が置いてあるが、さすがに今年の夏は暑かったらしくクーラーを購入したみたいだ。
酢味噌で食べる鯉の刺身はこの歳だから感じる事ができた美味しさだった。
久しぶりに会う祖父母たちは、前より少し痩せていたが元気そうで何より。
田んぼの道を散歩する。いつもより大きく見える空、田んぼと山、トンボ、川、道路、たまに軽トラ。
ひどい暑さでも風がとても涼しくて気持ちがいい。コンクリートの道路を歩いているだけで生きている心地を再認識させてくれる感覚があった。
ネット環境がないのでその分時間の使い方をいつもより考えるようになった。人と話したり、本を読んだり、散歩したり、観光したり、ネットを使わない環境でも数日間はあっという間に過ぎていった。
そして自宅に着いた時に感じたことは「たくさんの物に囲まれている生活」「時間の使い方」である。
自宅に着いて無意識にwifiに繋ごうとしている自分がいてなんだか悲しくなった。youtubeを観ていて、頭の片隅に時間の使い方を変えなくてはいけないと感じている自分があった気がする。
歳をとるのに比例して感じてくることはもっとシンプルに生きたいという思いであった。好きなことで生きていく。生きがいを感じて生きていきたい。大いに結構。
しかし、いつから生きていく為に考えなければいけない事がこんなにも多く且つ複雑になってしまったのだろうか?それともそれが大人になるということか?
行動をシンプルにして時間の使い方を改めて考えてみよう。