息がまだそこまで続かないんだ
どうも、つんどくです。
前回書いた記事についての想いとお詫びを今回は申し上げたいと思います。
前回、私は新しいカテゴリー「沈む」を作成し、その中で「あさい」を書きました。
そこに書く内容で読者さんに心配をかけさせてしまったことは、本当に申し訳ありませんでした。
結論から言いますと、私はとても元気です。
なんなら仕事納めをしてテンションマックスでございます。
今日なんてミルクとクッキー2枚を頬張って会社に向かったぐらいです。
もう今夜からどうやって過ごそうかワクワクが止まりません。
そんなことはどうでもよくて、本題に入りますね。
あのネガティブと捉える記事の内容。あれはたしかに私の感情ですが、現在のことではありません。前に感じたことを今書いてみただけです。決して太宰治に感化されたから書いてみたとか口が裂けても言えない。
というのも、最近「どこまで感情を形にして誰かに表現できるか」と考えていたからです。
人間だれしも落ち込んだり、絶望を抱えて生きた数日間なんて経験をしてると思うのですが、それをありありと文字にして誰かに伝えたことはありますか?
私はありませんでした。
だってまず内容が暗いじゃん。聞いてる方もキツイって。ちょー根暗やんwwみたいに思われるのもいやでしたし。
だからほとんど自分の感情をどうにかして誰かに伝えた経験がないのです。
恋愛とかではないですよ。
ブログを書いてて思うんです。
自分の感情や考えをもっと鮮明に伝えることはできるか?
日本語って面白いもので、感情の深くにいくと「ふれる」や「さわる」という言葉を使うんです。「カンにさわる」「気がふれる」など他にもいろいろ使ってるかもしれません。
何か考え事をしたり、没入している時、私は海の中でどんどんと暗い深海に沈んでいくような感覚になります。
慎重に慎重に。それは自分と向き合うことで知ることができる自分への深い部分なきもします。
感情の深く深くに沈んでいくことで見える何かが、私にとって表現の幅を広げることができる何かかもしれない。そう思ったんです。中二病全開ですねワロス。
それと、これは書いたあとで思ったんですが、アラサーの人って急に将来の不安が大きくなったり、自分への地位や夢にある程度諦めがつくお年頃なんですよ。
私も急に襲ってくる将来の不安や今の自分に対する葛藤などがきてかったるくなる日もあります。まー寝ればスッキリするんですけどね!笑
たしかクオーターライフクライシスって言うんですって。なんでも名前はあるものですね。
そんな感覚をもんもんと毎日感じて生きているアラサー(特に20代後半)って実はとても多いんじゃないかなと思ったわけです。
そんな迷える子羊?たちに打開策や自信を持たせてあげる能力があれば発信できるんですが、残念ながら私はそのようなチートスキルを持ち合せておりません。
しかし、記事にそのどろどろした真っ黒い感情を表現できることによって共感することができるかもしれない。ああ、自分だけがこんな思いをしてるわけじゃないんだ。そう思ってもらい少しでも気が楽になってもらえれば書いた意味が少しあるんじゃないかなと思えるわけです。
私もアラサーですが、この歳にはこの歳にしか考えられない感情や感覚が必ずあります。自分と向き合う(深く深く沈んでいく)ことで何か得られるかもしれないという期待感と本当に気にふれてしまうんじゃないかという不安が混じる、なんともよくわからない感覚に、今はただひたすらに浸っているのです。
今の私はまだ深くに沈むことができずにいます。
私のことを書くけど、その感情は現在の私ではない、ということだけわかっていただければよろしいかと思います。
これは好奇心でありちょっとした挑戦でもあります。