「やらない後悔より、やった後悔の方がマシ」というセリフにしっくりこない話
あなたは今までの人生で大きな選択をしたことがあるだろうか?
その際に頭の中であるセリフが浮かんだかもしれない。今回はそのセリフについて私の考えをダラダラと述べようと思う。
やらない後悔より、やった後悔の方がマシ
私はこのあまりにも有名なセリフを言っている人が信用できない。
なぜならその人は、やらなかった人か、やって成功した人だからだ。
このセリフの中には、やって失敗した人の意見が入っていないのだろう。
もし、やって後悔した人がいるのなら、このような後悔の優劣をつけることが出来ないと思うからだ。
やらなかった人の後悔が何故やった後悔より重いものだとわかるのだろうか?
やって後悔をしたときに、何故やらなければ良かったと思わないと思うのだろうか?
それはやって失敗した人の気持ちが後悔であったとき、その後悔がどれほどのものかを他人が知るわけないからだ。
失敗の定義はここでは置いといて、私はやって失敗した人間である。
失敗や諦めを自覚した際、私はひどく落ち込み、自分の選択を泣きながら悔いた。
理想と現実の乖離があった私の日常は以前よりさらに広がり、もう何事もどうでもよくなっていた。
しかし、落ち着きを取り戻した後に自分の選択が後悔するに値するものだったのかは一概に判断できなくなっていった。
負け犬の戯言と言われればそうかもしれない。
やった後悔の方がマシと言える人はある意味その後悔を知らない幸せな人なのかもしれない。
私がもし、選択に悩む人を目の前にしたらどうアドバイスをするのだろうか?
失敗を前提にしてアドバイスをするのも失礼だし、チャレンジ精神を持った人を怖気させるのも嫌だし、だからといって先のような軽いセリフでアドバイスをするなどは避けたい。
私はいまだにその適当な答えを見出せずにいる。