何もかも憂鬱な夜に - 死に値する判断要素とは何か?
どうも、つんどくです。
こんな寒い日に読むものでもなかったのではないか?それほどまでに考えるのが憂鬱になる1冊をご紹介。
3連休も終わり、あんなにハッピーだった私の気分はどこにいってしまったのだろうか?
ああ、祝日もあってまさかの今日はブルーチューズデーとか聞いたこともない単語を出してみるけどチーズの類に聞こえる。そんなことはどうでもいい。
そういうことで今回は中村文則 著「何もかも憂鬱な夜に」をご紹介
あらすじ
本作の主人公「僕」は、施設育ちの刑務官。そんな彼が担当することになった20歳の山井は見ず知らずの夫婦を刺殺。残り少ない控訴期限が終われば死刑確定は免れない。しかし彼はまだ伝えていない何かを隠している。そんな山井の姿を見て、過去に出会った人々を思い出す「僕」は次第に心が平穏でなくなっていく。死刑制度から見る生と死の境界線はいったいどこに存在するのか?
読みやすい流れは水のように、
本作でたびたび登場する「水」は、中村文則さん本人が意識して入れた、と講演で述べていた。それと同化するように、文章全体がとてもスラスラ読めるのも印象的だった。
しかし、この作品全体からにじみ出る人間の「深いところ」というのは、流れるように読んでいては考えられない。発せられることをただ受け取るだけではなく、自分の頭で考えて発することもまた重要だと思う。
あっという間に読み終わってしまう。しかし、その作品から訴えかけてくるもの・考えさせてくるものは、決してすぐには忘れることのできない、心に残る1冊になるだろう。
本作とは全く関係ないけど言わせてくれ。
"Be water, my friend."
同じことを思ってる人がいたと思わせてくれた1文
自分には、何かがあるような気がする。何があるのかはわからないが、何か、特別なものが、あって欲しい。(P.100より)
本当はこの後の文も全部載せたい。しかしあまりに出し惜しみもなく教えてしまうのも趣味ではない。気になったら読んでみてほしい。
私も自分の人生はこんなもんか、と思っているどこか隅っこで、実はまだ見つかっていない何か、誰にも追いつかれないようなすごい才能が埋まっているのではないかと思ってしまうことがある。諦めろと自分に言い聞かせ、その反面で自分を信じ続けていたい私も確かに存在している。そんな複雑な思いをこのページで代弁してくれている。
おわりに
普段、多くの人たちは死刑の瞬間など見たことがないだろう。しかし、私たちがこうして生きている時間の中でも、法律によって人間が殺されている事実を忘れてはいけない。
法律によって、と書いているがそもそもその法律を作ったのも人間である。では死刑に値するハッキリとした境界線とはいったいどこにあるのだろうか?
いつも考えていろとは言わないが、決して忘れないでほしいテーマである。
読後の解説では、ピース又吉直樹さんがこの作品と中村文則さんについて語っているので、是非最後まで読んでいただきたい1冊でした。
それではまた次回!
【今日のひとこと】3連休を楽しんだ反動は伊達じゃなかったぜ、、、