【ネタバレあり】「むらさきのスカートの女」感想 : 足が4本だーれだ?
どうも、つんどくです。
人間の本性を垣間見るときはいつだって普通じゃいられない。今回は令和第一号となる芥川賞受賞作品の感想です。
作品紹介
近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性のことが、気になって仕方ない<わたし>は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で働きだすように誘導し、その生活を観察し続ける。 (帯より)
友達になりたい一心で、むらさきのスカートの女を観察する<わたし>。作品の冒頭から観察してるけど中盤ぐらいではむらさきのスカートの女と友達になってそっから物語が動くのかなーと思ってたらなんと、この2人は最後まで友達にならない。どちらかと言うとむらさきのスカートの女を観察している<わたし>を観察する<わたしたち>みたいな感覚で物語は進んでいくがこれが控えめに言って静かに狂ってる。
- 芥川賞、気になるけど読んだことがない人
- 中編小説を読みたい人
- 読みやすい本を探している人
- 人間の狂った欲望を垣間見たい人
芥川賞作品=文学作品=読みにくい?
読書好きでもなかなか手を出しづらいと感じているのが文学作品ではないだろうか?そもそも文学ってなんだ?
文学(ぶんがく)とは、言語表現による芸術作品のこと。文芸とも言う。(wikipediaより)
ぱっと見てめちゃくちゃに油絵具を塗りたくっているような作品でもその買取額を聞いた時に驚いたことはないだろうか?
その作品の本質を理解できないと難しいと感じてしまうのは文学にも共通して言える。要は作者がこの作品を通して何を伝えたいのか?考えさせたいのか?を感じることができるのか?ということだ。まー読者によって受けとり方が違うのもまた読書の楽しみでもあるんだけどね。
それでは本題だ。芥川賞を受賞した今回の作品「むらさきのスカートの女」は読むのが難しいのか?答えはノーだ!びっくりするぐらい読みやすい!スイスイ読めちゃう!
難しい言い回しがない、難しい漢字もない。
読書をあまりしない人や芥川賞作品と聞いて少し挑戦しずらいと感じている人には是非読んでみてほしい。ただちょっと不気味だぞ!
<わたし>は本当に友達になりたかったのか?
<わたし>は終始観察しているむらさきのスカートの女と本当に友達になりたかったのか?読了してから余韻に浸っているなかでそれだけがモンモンとするのです。
むらさきのスカートの女とお友達になり、隣で歩く<わたし>を他人が見て黄色いカーディガンの女だと認識してほしかったのではないかと思ってしまうのです。
むらさきのスカートの女のいる立ち位置に、注目の的に、むらさきのスカートと言ったようなアイデンティティを<わたし>は欲していたのではないか?
むらさきのスカートの女が座る特等席のとなりに置きたかったのは、仕事情報誌ではなく<わたし>だったのではないか?
2人でベンチに座ることはなく、特等席でクリームパンを頬張る<わたし>のアイデンティティはまさしく今は行方がわからない彼女のそれでした。
こどもが<わたし>の肩をぽんと叩いた瞬間、むらさきのスカートを被った<黄色いカーディガンの女>が出来上がっていくんだなとなんともいえぬ後味で読み終えました。
バザーで備品を売っていた女の人って結局誰?
職場のホテルの備品がバザーで売られていることを確認した人たちがその店番をしていたこどもたちに「誰に頼まれたの?」と質問すると、こどもたちは「おんなの人」と答えたのです。
作品の登場人物たちは、バザーを開催している学校のすぐ近くに住んでいたむらさきいろのスカートの女だと思っていました。結局作中では誰が犯人か明確にはなりませんでしたが、私の予想では<わたし>がやったのではないかと思うんです。家賃を滞納してしまうぐらい<わたし>のお金事情は苦しかったのと、職場のひとたちとの人間関係でむらさきのスカートの女が精神的に辛くなれば優しい声をかけてあげて友達になれる。そんなことを考えたら実行できるのは<わたし>しかいないのではないか?
そう考えながら終盤、<わたし>がむらさきのスカートの女に説明したホテルまでの計画やシチュエーションがあまりにも出来過ぎていて狂気のなかに少しユーモアを垣間見た気分でした。怖えよまじで。
感想
承認欲求が満たされないまま他人への嫉妬が募り続ける現代。そんなヘドがでるような環境でできる友達や同僚など本当に信用ができるのでしょうか?どこかで他人に合わせている自分がいる。息苦しさのなかでも自己を確立しようと必死で生きる人生って一体何なのでしょうね?
その他の芥川受賞作品の感想はこちら
それではまた次回!
夏バテはんぱねー